2019年8月28日(水)


西村一成の加筆は

一旦は完成したけど、、、思い付いちゃって
とか
何が何でも描きたくなって
というような加筆の仕方ですが

昨日のこれも何か描き込みそうな気はしていました

「YUMEMIの肖像」
「YUMEMIの肖像」カンバスF5020190827



今日こうなりました

「瓶とロボット」
23-4「瓶とロボット」カンバスF5020190828






繰り返した加筆例を
2019年3月4日「加筆前→加筆後」追跡で
詳しく紹介しましたが


そこにUPした「てふてふ」が
その後また加筆されています


3度目の加筆後こうなっていて
「ナマなお化け」20190210
「生(ナマ)なお化け」カンバスP6020190210

9日後にはこう加筆し



「Yの誕生」20190219
「Yの誕生」カンバスP6020190219


この日はYの誕生日で
それが発想の元だったのか
何が何でも描きたくなってなのか
この場合は
元の絵の色やラインを生かして加筆



ところがその4日後

「てふてふ」20190223
「てふてふ」カンバス、P6020190223

これはもう加筆というよりツブシて
全く違う絵になったのでした

本人に確認していませんが
この時も何が何でも、、、だったのかどうか?


ともかく
「てふてふ」は2か月ほど存在していました


最後に(なるかどうか分かりませんが)
現在はこうなって保管中


「午前0時の覚醒」20190421

「午前0時の覚醒」カンバス、P6020190421

この場合の加筆は「何が何でも描きたくなって」でしょう

真夜中に
筆も持たずに
両手をブラックジェッソの容器に突っ込んで
擦り付けるようにぶつけるように描いた
その激しいタッチが何を物語っているのか
などと思いを馳せる時

改めてギャラリストの言葉を思い出します

「また一成流を目の当たりにしたと、驚き、ワクワクさせられる」
「残念なのは、あえて言うなら、加筆されて過去へ消えて
しまった作品の実物を見られなかったことです」
というわけで
「傍にいて、かつて描かれたことのある
今はなくなった作品たち
をすべて見てこられた
というのが羨ましいです」


「絵画を<見る>とは、体験なのです
創作の現場は<現象>のような場でしょうから、
それを目撃できるのは傍にいる者だけの特権です」


カンリニンの特権!
でもその過程に「素敵だなと思う瞬間」もあり
傑作だったのに!失われてしまって残念だな
と、、、悔やむ必要は無いか

これだけ傑作が生まれるのだから
加筆例もいくらでもあるし



最後に
ギャルリー宮脇「初秋の常設展示」の様子です
壁面の5点は西村一成作品
手前は鴻池朋子さんの「素焼粘土」作品でしょう

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